3月11日

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東日本大震災から8年の今日、あのときは何をしていたのだろう?

一昨日に亡くなった愛犬はやてより7年も前に亡くなった愛犬こまちもまだ存命だった。
そのこまちの誕生日が3月10日ではやての命日が3月9日、そして東日本大震災が3月11日。

個人的には忘れられない月になりそうだ。
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あのとき、成田空港の整備地区にある日本航空のハンガーで知人と会い、その足で成田空港第一ターミナルビル前の駐車場に向かった。

駐車場に着いて車から降りたときがまさしくその地震の発生した時間だ。

ターミナルビルのガラスがものすごい音を鳴らして揺れている。

あの大きな駐車場が波打ち始めた。

日本沈没か地球が壊れるのかと本当に思った。

我が家に連絡をして無事を確認。

会社も大丈夫か?電話がパンク状態で何人かと携帯だけ何十回に一度でつながる。

非常持ち出し袋とヘルメットは用意が出来ているし、変に帰宅を急ぐより会社待機を進めた。

食料も水もある程度の備蓄もあった。

非常持ち出し袋をしっかり用意していて良かったと思った。

それから空港近くに住むJALさんの知人の家で夕食まで頂き、少し落ち着くのをまってから帰宅した。

裏道を屈指したにも関わらず橋が通れない所も数多く迂回の連続。

このときは三陸があんなひどいことになっているとは知らず・・・。


翌朝のニュースで唖然とした。

あの千葉から青森の範囲で津波がおきていた。それも数10センチではない数十メートルの津波が・・・。


三陸で暮らしていた際に津波到達点という目印をみてこんなとこまで本当に来たの?と疑っていたが・・・。


千葉から青森ってどれだけ広い範囲を津波が走り抜けたのか?700キロはあるだろうか?

その後、連絡の付かない知人を探しに大船渡から釜石に戻る。

あの光景は忘れられない今でも・・・。

あれから8年が過ぎたが未だに先行きが不透明な地域もある。

熊本、鳥取だったりその後も大きな地震が、最近では北海道も

ここは大丈夫という所はない。


多くの犠牲の中から教訓を忘れずにこれからも暮らして行かねばならない。

そんな区切りの日が3月11日なのかもしれない。


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